過去の入居者さまからのメッセージ
安心して住めるアパートでした!
私は大学3年から6年までの4年間「かたくりの里とうべつ」で過ごしました。3年次編入学で福岡県から北海道に来ており、初めての北海道での生活に少し不安がありました。しかし、のどかな当別町の雰囲気を知り、また親切で元気な大家さんとお会いしてから、すぐに不安は消えました。
部屋は広くて本当に暖かく(福岡の実家の方が寒い程です)駅までも近いので、特に困ることはありませんでした。電車で札幌まで行けるので土日は「1日バイトを頑張る日」や「買い物をする日」などと決めて、平日は落ち着く部屋で過ごしていました。
大家さんには本当に良くして頂き、文にまとめるのが難しいので、箇条書きで印象に残っている出来事をお伝えします。
・夏には毎年住民を招いてBBQをしてくださり、北海道でしか味わえないような料理(ジンギスカン、チャンチャン焼き、行者にんにく等)を頂きました。
・畑で採れた新鮮な野菜を頂きました。
・ファンヒーターが壊れた時、代わりのものを貸して頂きました。
・部屋で怪奇現象がおきた時、夜遅い時間にも関わらず見て頂きました。
・常に何か困っていることはないか尋ねて下さいました。
・正月に1人残って試験対策をしている時、手作りのお料理を頂きました。
何よりも、信頼できる大家さんがいるという安心感が、日々の生活をより豊かにしてくれたのだと思います。
4年間、本当にありがとうございました。
とても人気なので入居が難しいかもしれませんが、チャンスがあればぜひ「かたくりの里とうべつ」での生活を送ってほしいと思います。
藤嶋 沙紀(平成27年3月薬学部 卒業)
青春の8年間を大沢アパートで過ごした
私の学生時代の趣味は車だったりボート釣りだったりで、結構楽しく過ごしました。
近隣には新しいアパートも多くできているし、友達の部屋にも良く遊びに行ったけれども、引っ越しは一度も考えたことはありませんでした。
車のタイヤ交換、洗車、部品交換、釣り後のボート洗い、魚の処理(さすがに嫌がられていたかも)全て部屋の前でホースを伸ばして行いました。
8メートル近い船も空き地に置かせてもらいました。土地の広さと大家さんの心の広さが比例し、学生生活を送るにあたり非常に有意義に過ごせるアパートでした。
今は神戸のゴミゴミした中で生活していますが、当別町グレース大沢での生活に戻りたいと今でも懐かしく思い出します。
平成17年度 歯学部 卒業 石崎晴彦
北海道医療大学に入学されるみなさんおめでとうございます。
北海道医療大学に入学されるみなさんおめでとうございます。今のお気持ちはいかがですか?わくわくしていますか?それとも不安でいっぱいですか?
はじめまして。私は現在、石川県金沢市の金沢大学付属病院で看護師をしています、北村幸子(35歳)といいます。
私は医療大看護学科を平成9年に卒業しました第1期生です。
大学に合格した時は、北海道に行って学生生活を送れるというわくわく感でいっぱいでいしたが、誰も知り合いのいない当別で大丈夫かと不安の方が大きかったですかね。
だけど、大沢アパートでは大家さんがとてもよくして下さり、安心して生活する事ができました。
良かったのは、1年に1回大家さんの家で学生の顔合わせのためにお食事会をして下さることです。
そのおかげで友達や先輩が増えたし、大学でも会えば声を掛け合う仲になることができました。
お食事会が終わった後は、誰かの部屋で2次会。夜遅くまでわいわい飲んでいたことを思い出します。
それから、大家さんの畑で作ったとうもろこし(北海道ではとうきびっていうんですよね)をすぐ食べれるようにして、アパートのみんなに配ってくれるんです。
こんなによくしてくれる大家さんはいないですよね!
卒業してからも友達の結婚式や部活のOB会などでよく北海道に来ていますが、時間があれば当別にもよっています。
今年(平成21年)夏には家族で北海道旅行にフェリーで行きました。もちろん、当別の大沢家にも顔を出しました。
突然の訪問だったんですが快く迎えてくれ、あのなつかしいとうもろこしを頂きましたよ~。
みなさん、いかがですか?ぜひ大学4~6年間を大沢アパートで過ごされたら。いい思い出ができますよ!
平成9年3月 看護学科卒業
北村幸子(旧姓中村)
大澤様御夫妻へ
いよいよ秋も深まり、北海道では雪の便りが聞かれそうな、今日この頃、おかわりなくお過しでしょうか?
お陰様にて私達家族も日々つつがなく過しております。
大変お世話になりました靖彦も今年の四月無事大阪市内に開院する事が出来ました。
これも偏に、御夫妻の温かいお心遣いの賜物と心より感謝しております。
思いおこしますと、十数年前、北海道の大地へ足を踏み入れた事もない家族、まして十八才の男の子が一人で氷点下の地で生きていけるかどうか不安で一ぱいでございました。
しかし、御夫妻のお人柄に接しこの不安は、一瞬にして吹き飛びとても安堵したものです。
靖彦がお宅のアパートへお世話になる様になりましてから、家族一同、大澤様、当別、そして北海道の大ファンとなり、主人を始め私、靖彦の兄と何度北の大地へ足を運んだか数へきれません。
畑からもぎ取って下さったとうもろこし、アスパラ等々のおいしかった事、その味は今でも忘れる事が出来ません。
青春の真中を御夫妻の温かいお心と北の大地で培われた、忍耐力を土台にこれからも大きく羽ばたいてくれるものと信じております。
卒業まで何もしてやれなかった親に代わり、至れり尽くせりのお世話をして頂きました御夫妻に心よりお礼申し上げます。
寒さに向かいます折、呉れ呉れも御身御大切にお過し下さいませ。
岡澤 紀代
大澤アパートの思い出
私が入学した当時は、教養部は音別町にあったため、一年間は皆一緒の寮生活でした。
二年生になり、当別に来て、三年間大澤アパートでお世話になりました。
他にはないアットホームな環境で、四月に入居者の顔合せでジンギスカンパーティーを催して下さいました。
また、私が風邪をひいて寝込んでいた時には、おばさんが、おかゆを炊いて持ってきて下さり、本当に感謝しています。
時々、事務所にお邪魔して、おじさん、おばさんといろいろな話をした事が、なつかしく思い出されます。
私にとっては、北海道の両親です。
おじさんに、お忙しい中、仙台での結婚式に足を運んでいただいてから、十数年お会いしていませんが、近いうちに、子供たちを連れて当別を訪ねたいと思っています。
昭和六十二年度 薬学部卒業 富樫 真夢美(十一期)
大家の大澤さんに大変お世話になりました。
私は現在の土地に住んで二十年程になりますが、学生時代には大澤アパートに住んで大家の大澤さんに大変お世話になりました。
言わずと、大学時の住処は第二の故郷となり、住み家は第二の家となります。
大学生活は大方の人にとっては、初めての一人暮らしとなります。
そんな私らにとって大家の大澤さんは、付かず、離れずの関係で、親程に干渉せず、一歩引いたところで見守っていてくれるそんな大家さんです。
学生時代には、そんな大家さんは、毎年、アパートの学生住民を自宅に招いて、ジンギスカンをやってくれました。
そんな大家さんに全てをやってもらっては申し訳ないという気持ちが、女子学生には芽生えたらしく、当日は開始時刻より早めに行って手伝っていたように記憶しております。
(男子学生はただ飲み食いに行っていただけのようで、すみませんでした)
そのような感じで、アパートの学生住民同士結束していたように思います。
今にして思えば、一人暮らしと言うと自炊を思い浮かべることかと思いますが、自炊は勿論のこと、初めての世帯主としての生活、隣近所との関わりや、社会人としての嗜み等を育んでくれた。
それが大澤アパートです。
平成元年薬学部卒 柴田 隆